「覚えておられた主」―ルカの福音書1章67~79節―
1.イエス様はどこに
①救いの角:「主は…救いの角を私たちのために、しもべダビデの家に立てられた」(69節)。
良い羊飼いが狼を杖で打って羊を守るように、十字架の死をもって悪魔に打ち勝たれる力強いイエス様が「救いの角」。
このお方は、ダビデの子孫から人としてお生まれになるのです。
②曙の光:「曙の光が、いと高きところから私たちに訪れ、暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし…」(79節)。
イエス様が「いと高きところから訪れ」と、人となるために地に降誕される神であること、さらには「私たちの足を平和の道に導く」ことが語られています。
2.覚えておられた!
ザカリヤの預言の中心テーマは何でしょうか。
「主は…ご自分の聖なる契約を覚えておられた。…誓われた誓いを。」(72-3節)。
人を園から追い出したとき、神は救い主を約束されました。
この約束は、アブラハム、モーセ、ダビデと、繰り返し確認され、イスラエルの民は、救い主のおいでを待ち望みました。
主はこの契約を覚えておられたのです。
3.ヨハネはどこに?
「幼子よ、あなたこそ…主の御前を先立って行き、その道を備え…」と語られたこの幼子は、バプテスマのヨハネです。
ヨハネの後に来られるイエス様が、神様が約束(契約)された救い主であることを証しているのです。
4.エリサベツとザカリヤ
聖霊が導いたザカリヤの言葉は、父の聖なる契約が実現し、御子イエスがお生まれになることの預言でした。
エリサベツの名は「神は誓い」、ザカリヤは「主は覚えておられる」の意味です。
約束を必ず実現される義なる神の栄光を現すのに、彼らは信仰も名前も
実に相応しい夫婦だったのです。
恵みの約束を覚えておられる主イエス様は、私たちにも
「わたしを覚えてこれを行いなさい」と呼びかけられます。
私たちの歩みが、インマヌエルの主の恵みをいつも覚えるもので
ありますように。