「心を見られる主」―サムエル記第一16章1~13節―
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」サムエル記第一16章7節
今日の聖書箇所には、「主は心を見る」とあります。心は、隠しているつもりが、隠せているかどうかわからない、いや隠すことが出来ないものです。私たちは、心を見られる神様の御前にあってどのように歩むことが出来るでしょうか。
Ⅰ;信仰による前進
私たちの主なる神様は、「心を見られる主」です。ですから私たちは、信仰による応答をして前進していきましょう。
神様は、躊躇するサムエルに対して、具体的な方法を告げました。サムエルが優れた預言者であるのは、いつまでも悩んでいるのではなく、神様の言葉にすぐに従うところです。サムエルは、神様によって開かれた新しい道を進んでいく信仰を持っていたのです。
私たちは、神様の導きに信頼して信仰を持って進んでいきましょう。主は、信仰をもって応答し前進するその心をご覧になってくださいます。
Ⅱ;心を豊に
主は心をご覧になります。ですから主によって心を豊かにしていただきましょう。ダビデはいつも神様に心を向け、大きな罪を犯しましたが、すぐに悔い改めるという開かれた素直な信仰を持っていたのです。だから心を見られる神様に選ばれたのです。
「心を見られる」神様の基準は今も変わっていません。私たちは、毎日の生活の中で神様を身近に感じ、神様によってもっと心を豊かにしていただきましょう。主は、皆さんの心をご覧になります。
Ⅲ;賛美に溢れる
私たちの主なる神様は、私たちの心をご覧になります。そして神様は、私たちの心に賛美を満たしてくださるのです。
私たちは、心を主に向けて主を賛美しましょう。賛美は私たちに喜びを与えます。賛美は私たちに感謝を与えます。賛美は私たちの祈りとなります。あなたの心には主への賛美が溢れていますか。
主は、私たちの心を見られるお方です。