2024年10月20日(日)礼拝説教要旨

「郷里と家族の間で」―マタイの福音書13章53節~58節―

 

【1】はじめに - 御国のたとえを振り返る

(1)天の御国の弟子となった学者

 天の御国のたとえを聞いて、目が開かれた人は幸いです。イエス様は、神の子から聞いて信じ従った人、つまり「天の御国の弟子となった学者」と呼ばれましたその人は「自分の倉から新しい物と古い物を取り出す、一家の主人のよう」だとも。新しい物、古い物とは何か?

(2)古い物と新しい物

 盗みを例に…。律法学者のように「盗んではならない」を<窃盗罪を犯さない>と理解することが古い物です。一方、神の光の内に<他人を羨まない>、<与えられたものを感謝し尊重しあう>ことと悟り、御霊の導きを祈ることが新しい物。あなたは両方出しておられますか?

 

【2】郷里と家族の間で

(1)人々の驚き

 たとえによる宣教の後、イエス様は郷里の会堂で語られます。その宣教を聞き、みわざを見た地元の人らは驚きます。だが彼らは、イエスは大工ヨセフの子でその家族の事も知っている、どこからそんな力を得たのだろうと問うばかりで、信じなかったのでした。

(2)イエス様の驚き

 イエス様は、人々の不信仰に驚かれて(マルコ6:6)奇跡はひかえられました。イエス様の奇跡はしるしとも呼ばれ、ご自身が神の子であることを示すものだったからでした。預言書のことばを用いて、郷里や家族では預言者が敬われないとも語られました。

 

【3】耳のある者は聞きなさい

(1)畑に隠された宝

 イエス様のお力の源について聖書は「すべての権威が」(28:18)「わたしの父からわたしに渡されて」(11:27)と記します。この方が郷里の人々には、「ヨセフの息子」にしか見えなかったのです。畑に隠された宝のたとえの良い説き明かしです。(→ 線を引かない聖書)

(2)なおもお語りに

 イエス様の宣教には人が押しかけました。信じる人とともに敵対者も増えました。たとえを悟る人も悟らない人もいました。郷里では敬われませんでした。しかしなおもイエス様は御霊に助けられ「耳のある者は聞きなさい」と父の御思いを語り続けられたのです。

 

【4】むすび

(1)新聖歌 280番「神は わがやぐら」

 郷里の人々には、イエス様が神の子・救い主であることが見えませんでした。世の人の目には隠された宝であるイエス・キリストを見つけたマルチン・ルターは「わたしはここに立つ」と言い、敵の前で「わが命 わが宝も 取らば取りね」と歌いました(4節)。

(2)祈り

 「天の御国は畑に隠された宝のようなものです」マタイの福音書13章44節。神様。私の小さな「知っているツモリ」が、どれほど大きな恵みを隠しているでしょうか。御霊が私の目・耳の覆いを取り、イエス様ご自身、神様そのものを味わわせて下さるようお願いします。