「サムソン②:ティムナの女を妻に」―士師記14章―
1. 情欲:ティムナの女を気に入る(1-5節)
サムソンが成長し「ティムナに下って行ったとき」(1節)のエピソードです。彼はティムナにいたペリシテ人の女を気に入り、妻にしたいと考えました。両親はそれに反対しますが、彼は聞く耳を持ちません。聖書はそれを「主によることだ」(4節)と解説しています。
イスラエル人であるサムソンが、異教の、しかも敵であるペリシテ人から妻を取ることは、本来神の喜ばれるところではなかったはずです。しかし主は、サムソンの我がままな性質を大目に見たうえで、それをイスラエルの救いのために用いようとさえしておられました。サムソンのような人物が士師とならざるを得ないイスラエルの霊的堕落を憂うとともに、それでも介入してくださる主の憐れみ深さを思います。
2. 親と神に対する不敬(5-9節)
その女と結婚するために両親と共にティムナに下ったとき、サムソンはぶどう畑で若い獅子に遭遇しましたが、「主の霊が激しく…下」ったので、いとも簡単に獅子を「引き裂」きました(6節)。後になってその獅子の死骸を見ると、そこに「蜜蜂の群れがいて、蜂があった」(8節)ので、彼はそれを食べ、また両親にも与えました(9節)。
主の霊が下るとは、その人が聖められ、整えられているかどうかとは無関係であることが分かります。主はどんな人でも、どんな状況でも、ご自身のご計画のために用いることができるのです。私たちも主に用いられることを望みつつも、それよりも先ず、主の霊が内に住んでくださり、日々私たち自身を聖めてくださるように求めて参りたいと思います。
3. 怒りやすさ:祝宴での謎かけ(10-20節)
さて、婚礼の祝宴の中でサムソンは、客人たちに「亜麻布三十着と晴れ着三十着」を賭けて謎かけをしました(10-14節)。謎を解き明かすことのできなかった客人たちは、サムソンの妻を脅迫して答えを聞き出させました。怒ったサムソンに再び「主の霊が激しく…下」り、彼はアシュケロンで三十人を殺して、そこからはぎ取った晴れ着を客人たちに渡すと、そのまま家に帰って行きました。
サムソンの情欲、親や神に対する不敬、我がまま、怒りやすさ…彼のこのような性質さえも用いて、神はイスラエル人とペリシテ人の間に介入されるのです。