2025年1月5日(日)礼拝説教要旨

「必要なことは一つだけ」―ルカの福音書10章38~42節―

 

マルタとマリア

 イエス様と弟子たちの一行が旅の途中、ある村に入られました。するとマルタという女の人がイエス様を家に迎え入れました。「家に迎え入れる」とは、お客様として歓迎する、喜んで迎え入れる、という意味の言葉です。マルタは愛するイエス様が来てくださると、喜んで迎え入れて熱烈に歓迎したのです。マルタにはマリアという妹がいました。イエス様が家に入った後の二人の様子が描かれます。まず妹のマリアが先に紹介されます。マリアは、イエス様が家に入られると、静かにイエス様の足もとに座りました。ほかの弟子たちよりも先に、イエス様のすぐ前に座ったのです。そして主のことばに静かに聞き入っていました。一方、姉のマルタは、対照的に忙しく働いていました。マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着きませんでした。「いろいろなもてなし」の直訳は「多くの奉仕」です。マルタの奉仕はイエス様と弟子たちをもてなすことでした。愛するイエス様に喜んでいただくために、多くのもてなしの奉仕を一人でしていました。そのために、心の落ち着きが失われていったのです。マルタの心はやがて怒りでいっぱいになります。そしてついにその怒りを爆発させました。「主よ、私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」マルタは妹をさばくだけでなく、イエス様にも非難の言葉を口にします。マルタの喜びは怒りへと変わってしまいました。マルタのもてなしの奉仕は自分以外の人をさばく結果となったのです。

 

イエス様のマルタへの答え

 そんなマルタに対してイエス様は優しく答えられます。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。」イエス様はマルタの心がかき乱されている原因を指摘されます。それは、多くのことを心配して思い煩っていることでした。マルタの心は、これもしたい、あれもしたいと考えているうちに思い煩いが大きくなり、ついにキレて爆発してしまった。そう指摘した上でイエス様は言われます。「しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。」必要なことは一つだけ。多くのことを心配することではない、と言われます。一つだけの必要なこと、マリアが選んだその良いほうとは何でしょうか。それは、主の足もとに座る、そして主のことばに聞き入る、そのことを何よりも優先するということです。主のために何かをする前に、主が与えてくださる本当の食事をいただくということです。イエス様はこう言って締めくくります。「マリアが選んだその良いほうが彼女から取り上げられることはありません。」本当の食事から受ける恵みは取り去られることがないのです。

 

良いほうを選ぶ

 私たちは今年、何を目標とするでしょうか。私たちは何を優先させるでしょうか。まず、主の足もとに座って、みことばから恵みを受け取ることです。それから、みことばに示された奉仕へと進むことです。まず、恵みを受け取ることです。そしてその恵みに生かされることです。そうすれば、奉仕が負担ではなく、感謝と喜びとなる。今年、この祝福を受けるために、何よりもまず、主の足もとに座ることから始めていきたいと思います。