「彼は病を負い痛みを担った」― イザヤ書53章1~12節 ―
1. 「救い主は栄光を捨て、私たちの慕うような見栄えもなかった」
イエス様は私たちが思う以上に、貧しいみすぼらしい姿であったと言える。でも、だからこそ貧困に苦しむ人々、社会の輪に入れない人、罪深い人がイエスのもとに集まりやすかったのかも知れない。神の一人子、最高の権威をお持ちの方が、私たちすべての人の罪を赦し、救いを与えるために、私たちのために罪に汚れた泥沼のような世界に来てくださった。
2. 「主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた」
私たちが経験する孤独、無視、病の苦しみ、侮辱…それらをイエス様は自ら引き受けて歩まれたことがわかる。イエスがその身に背負われた痛み、苦しみ、侮辱、孤独、それらはあなたのためだった。イエス様への懲らしめが、私たちに平安をもたらし、イエス様の打ち傷のゆえに、赦しと癒やしが信じる者に備えらえた。ここに「身代わりの死」がある。
3. 「主のみこころは彼によって成し遂げられる」
10節に「代償のささげ物」ということばが登場する。キリストが罪人の身代わりのささげ物となることで、キリストを信じる者が救われるという事である。しかも、キリストはご自分の「苦しみのあと」を見て満足さえなさる。「自分の十字架の死=人の救いの道である」ので、その苦しみに満足し、喜びさえ抱いておられた。あなたにも、父なる神様の犠牲を伴う深い愛が注がれている。私たちは、この愛にどう応えて歩むべきだろう。心から感謝して、「神様ありがとう」の気持ちを込めるクリスマスにしたいものである。