「神様は慈しみ深い」― 詩篇73篇21~28節 ー
「まことに 神はいつくしみ深い。イスラエルに 心の清らかな人たちに。」詩篇73篇1節
アサフは、「神は慈しみ深い」と歌います。しかしこの告白に至るまで、アサフは、言いようもない心の葛藤を経験していました。アサフが、信仰ゆえに感じた苦悩を程度の差はあれ私たちも経験しているのではないでしょうか。
Ⅰ;アサフの見た現実(2ー15)
アサフは、「神様は、慈しみ深い」と歌います。しかしアサフが、このような思いになるには、相当の葛藤を通ってきたことが分かります(2 節以降)。アサフは、この世の現実を見て愕然としたのです。彼は、人生の基盤を失うような、滑り落ちてしまうような、気力を失うような思いだったのです(3-10節) 。
私たちは、クリスチャンとして聖書に照らして生きていこうとする時、聖書の価値観がこの世の価値観とは違うことに直面します。そして時には、他の人と比較して何か聖書に従って生きている自分が間違っているような、損をしているような錯覚に陥ることがないわけではありません。アサフは、目で見える現実を見て、心が乱れるのです。けれどもアサフは、その思いにとどまり続けることはありませんでした。
Ⅱ;アサフが見たもう一つの現実(13-24)
「神様は、慈しみ深い」、アサフの偽りのない思いです。アサフは、もう一つの現実を発見しこの告白に導かれました。それはアサフが、葛藤し心が乱れ、わめき散らしたい、獣のように冷静さを失っていた時、神様は、自分の手を離さず共にいてくださったという事実でした(23)。
アサフは、様々な事柄の中で、神様が分からず、神様は何もしてくれない、親切ではないと感じていました。しかしアサフは、神様がいつでも自分と共にいてくださり、愛してくださり、受け入れ導いてくださることを知ったのです。
Ⅲ;アサフの告白(25ー28)
「神様は、慈しみ深い」これは、アサフがたどり着いた信仰告白です。アサフは、すべての出来事を超越して、主なる神様がおられること、神様がすべてを支配し、それぞれの生き方に必ず報いる方であることを知りました。そこでアサフは、自分は、自分として主なる
神様に目を向け、神様だけを信じて歩むと決心したのです。
神様は、慈しみ深いお方です。愛に富み、恵み豊かなお方です。主なる神様は、私たちの手を離さず、共にいて導いてくださるお方です。私たちは、荒れ狂う大波のような人生にあって、神様の御前に静まり、賛美し、御言葉に耳を傾けていきましょう。