「捜してくださる方」― ルカの福音書15章1~10節 ―
1.パリサイ人律法学者たちの文句 1~2節
パリサイ人や律法学者は、「自分たちは神に選ばれ正しい行いによって救われていると信じている者」、また「神のご性質の解説者専門家と」して「わたしこそが正しい」と高ぶった思いを持っていました。しかし私たちも心の中で、心の中で同じように言っている自分に気が付くことがあるのではないでしょうか。
2.いなくなった羊をとことん捜される方 3~7節
この羊飼いは神を表しています。自分の造られたものを愛される神は、一人でも滅びるならば悲しまれるお方です。まだ99匹いるから、1匹くらいいなくなってもいいやとは思いません。良い羊飼いは自分の危険さえもかえりみないで、必死に迷子の羊を探すのです。そして「見つけたら、大喜びでその羊を担いで、帰ってきて、友達や近所の人を呼び集め、「いなくなった羊を見つけましたから、一緒に喜んで下さいという。」神です。
3.見つけるまで注意深く捜される方 8~10節
ある女の人がギリシャの貨幣ドラクマ銀貨を10枚持っていて、その中の1枚をなくしてしまいました。羊は鳴き声を頼りに捜せますが、ドラクマ銀貨はそういう訳にはいきません。見つけ出すためには、捜す側の努力が頼りです。失われた人間の霊的状態はこのような時もあるのではないでしょうか。女の人は部屋を掃き、明かりをつけてできる限りの最善を尽くして探します。イエスが来られた目的は、失われた羊やドラクマ銀貨を命懸けで探して罪を赦し救い、神とともに生きられるようにしてくださるのです。しかも、見つけたことをこのうえもなく喜んでくださる神なのです。